もうそうたん

小説家を目指すメンヘラ女子の3人称の文章を練習場所。1記事を30分以内で書くという決め事でやっている。

地震と商店街とキャンドルと

商店街を歩いているとある店の前にポツンとキャンドルが立っていた。キャンドルは心もとなく光を発しながら自分の存在を少しだけアピールしているように見えた。キャンドルの上には一枚の張り紙が。

「3・11。あの日起きたことを私達は忘れない。」

その張り紙を見て徹は東北を襲った大地震が3年前の今日であったことを思い出した。

地震が起こった日、徹はいつも通り会社で仕事をしていた。最初は小さな揺れを体に感じ、いつもどおりすぐ収まるだろうとたかを括っていたが、いきなりドンッとしたから突き上げられるような衝撃を受け思わず倒れてしまった。机は横滑りをし、部屋の壁沿いにおいてあったロッカーは横倒しになった。ドタバタと音がなる中、徹は頭を両手で抱えたまま立ち上がることもできずに念仏を唱えていた。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。自身が終わり落ち着いた後、普段仏教とは程遠い生活を送っているくせにこういうときには神に願いを捧げることしかできない自分に苦笑いがこみ上げてきたことをよく覚えていた。

地震が収まり外に出てみると横倒しになった看板などはあったものの普段と様相をあまり変えずに町はそこにあった。地震を受けた時は地面の底が抜けて、会社から出ると目の前に地の底まで続くような穴が空いていないかと想像したものだったが、穴もなく慌てた人は多数いるが街自体は普通だった。人間よ。そんなに焦らなくても俺は逃げていかないぞと街が自己主張してくれているようで少しだけ心が救われたような気がしたものだった。

それから1年が経つと近くの商店街では各店の前にキャンドルが立っていた。メモリアル、絆、日本を一つに、この小さな繋がりが大きな力となり日本を強くする。商店街が3・11を忘れずに繋がりを示すことでこの出来事を風化させないために行ったことだった。その年の商店街は立ち並ぶキャンドルから確かな繋がりを感じることができた。

しかし、1年、また1年と年が立っていくに連れてキャンドルは少しづつ減っていった。それは記憶という不確かなものがキャンドルを一つづつ吹き消すことで人々の中から抜けていこうとしているかのようであった。

そして、今年は1つ。たどたどしく、弱々しくキャンドルは佇んでいたが確かにそこに立って光を放っていた。この光を見たことで今日が大地震が起こった日であったことを思い出したが来年は忘れているかもな。徹は繋がりを、絆をと喚いたいた商店街を想い出しながらも、記憶が風化することは震災から復興した証なのかもしれないなと考えていた。

そんな考えを知る由もなくキャンドルの光はゆらゆらと佇んでいるのだった。